旧約聖書は、古代社会の支配体制(イデオロギー)に対する革命 [聖書研究]

神話(宗教)の世界では、古い神話(宗教)体制から、新しい神話(宗教)体制への転換に伴い、従来信仰されていた神が、悪魔や邪悪な神の立場に転落する例が頻繁にあります。

例えば、中世キリスト教社会での魔界の大公爵アシュタロスは、バビロニアでの豊穣の女神イシュタルが変換された者です。

ですから、サマエル(神への反逆者・蛇)やリリス(淫らな女妖怪)など、旧約聖書体制の立場から見た悪役は、旧来の支配体制においては主神であったのです。

創造神エンキの母は、混沌の海の竜であるナンムー女神でした。ギリシャ神話では、エンキは大蛇の創造神オピオーンに相当し、エンキの母ナンムーは、大蛇のオピオーンを産んだエウリュノメーに相当します。

そして、愛の女神イナンナ(イシュタル)はナンムー女神・エウリュノメーの系譜に属し、アプロディーテーやリリスに繋がります。

サマエルとリリスとエンキとナンムー女神とカイン(ユダヤの伝説ではカインはサマエルの子供)が蛇に関係するのは偶然ではありません。

これらは、名称が異なるが、元来は同一人物なのです。

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ユダヤ人は、唯一神(ヤハウェ)概念を構築して、従来の異民族の支配体制(イデオロギー)を転覆させ、旧約聖書体制を創ろうと図りました。

旧約聖書とは、従来の創造神エンキ(=サマエル)を頂点とする異民族の支配体制(イデオロギー)に対する、
ユダヤ人の革命 なのです。

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*失楽園神話において、蛇(=サマエル=エンキ=智恵の神)がエバに智恵の実を勧め、エバもアダムに智恵の実を勧めます。

そして、最終的にエバとアダムは、エンキの属性である、智恵と生殖(=豊穣多産儀礼)に伴う死を受け入れます。ですから、蛇(=サマエル=エンキ=智恵の神)とエバとアダムは神話解釈的には同一系統に属する者なのです。

旧約聖書では、回りくどい物語で、本来のエンキの立場(属性)を、蛇とエバとアダム(とヤハウェ)に分割している訳です。(ユダヤ人聖書編纂者がエンキの属性を分割して、蛇とエバとアダムとヤハウェに再構成した)

そして、唯一神(ヤハウェ)は、蛇とエバとアダムを揃って罰します。
(従来のエンキ体制の否定)
さらに、旧約聖書は、従来の創造神エンキ(=サマエル)を頂点とする異民族の支配体制(イデオロギー)に対する、ユダヤ人の革命という意義を持つだけでは、ありません。

実は、旧約聖書は、唯一神(ヤハウェ)の支配体制に対する人間側(アダム)の革命という意義を含有しています。

換言すれば、旧約聖書は、従来の異民族の支配体制(多神教)の転覆と、唯一神(ヤハウェ)の支配体制に対する転覆の、二重の転覆を狙っているのです。

しかし、唯一神(ヤハウェ)の支配体制に対する転覆(革命)の意図は、巧妙に削り取られ、隠されてしまいました。

その痕跡が、「イスラエル」=< 神 対 人間 の戦い>という言葉に現われています。

*失楽園神話において、唯一神(ヤハウェ)は、従来の異民族の支配体制(=蛇=サマエル=エンキ)と、人間(=アダム=エバ)の
両方を断罪して、圧迫します。

ところが、従来の異民族の支配体制(=蛇=サマエル=エンキ)は唯一神(ヤハウェ)に敗北し、滅亡しますが、
人間側(=アダム・エバ)は、ヤハウェに反撃し、抵抗します。智恵の実を食べ、永遠の命の木の実を獲得しようと企てる

旧約聖書は複雑な二重・三重構造を有しています。

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以上述べた様に、旧約聖書は、古代社会の支配体制(イデオロギー)に対するユダヤ人の革命という意義を有しています。
そして、そのユダヤ人の革命(戦い)は、3000年後の現在も継続されているのです。
キリスト教・イスラム教・仏教・共産主義という姿で


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旧約聖書を、どう捉えるべきか? [聖書研究]

旧約聖書を、どう捉えるべきか?
普通は、道徳書として捉える。
歴史書として捉える人も多い。
無神論者には、神話として捉える人も多い。
だが、経済学書として捉える人が、一番正しい。
そして、ユダヤ人は、旧約聖書から経済を正しく学ぶ。
だから、ユダヤ人は経済的に成功する。
経済とは、人間が生き延びる方法なのである。

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他の宗教を信じる方には不憫だが、 [聖書研究]

他の宗教を信じる方には不憫だが、
ユダヤ教は他の宗教より、圧倒的に優れている。
(私はユダヤ教を信仰しないが、豚肉は食べない)

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人間が死ななければならない理由 [聖書研究]

人間が死ななければならない理由は、SEXした本人が生き続けると、人口増加が制限できなくなり、地球上に人間が溢れ、食糧が足りなくなるからです。(当たり前ですが)

だからこそ、<善悪の木の実>(性交)を食べると、死ななければならないのです。(自然=神の摂理
人間は、自己の命を子孫に分け与える代わりに、自分は死ななければならないのですね。

人間は、<善悪の木の実>(性交・智恵)を食べて、死ぬ事によってのみ<生命の木の実>(永遠に続く命)を獲得できるのです。

ところが、聖書では、神(自然)が、アダム(人間)の行為を断罪して、ケルビムに<生命の木>を守らせ、人間の生命が存続する事を妨害します。

この話は、人類の歴史が、<生命の木の実>(永遠に続く子孫)を獲得するための、神(自然)との戦いである事を表現しています。

そして、聖書では、<その戦いの代表選手>としての役割を、<イスラエル=神と闘う者>(ユダヤ人)に付与しています。(選民として神と闘うユダヤ人)

それが、ヤコブ(イスラエル)が行った<神(自然)との組み打ち>の意味です。

人間は、自らが生き延びるために、神(自然)と格闘しなければならないのです。
サラリーマンは仕事が格闘に相当する

<永遠の生命>の意味 [聖書研究]

私は、アダムとイブ(人間)が生命の木の実を食べて、永遠の命を得る事の意味を深く考察しました。そして気付きました。

人間(アダム)が、<永遠の生命を得る事>とは、何を意味するのか?

それは「アダム個人」が<永遠に生きる事>を意味するのではなく、アダムの<子孫が永遠に存続する事>を意味するのです。

譬えるならば、読者の御子孫は、読者のDNAを受け継いだ、読者の命の分身です。ですから、読者の御子孫(DNA)が存続する事は、読者が<永遠の生命を得る事>と同じ意味なのです。

又、<善悪(智恵)の木の実を食べる事>とは、明らかに<性交・SEX>を意味します。それはラテン語でSEXが、元来<分別する/智恵>を意味した事からも類推できます。

ともあれ、<善悪の木>と<生命の木>のエピソードは、聖書理解のためには、最重要です。

読者が死んでも、読者の御子孫(DNA)は存続するのです。それが<永遠の生命を得る事>の意味なのです。

善悪の木の実を食べる事>=<性交・SEX>により、人間は<永遠の生命を得る事>(子孫を存続させる事)が可能になる訳です。

<永遠の生命を得る>(子孫を存続させる)ためには、<善悪の木の実を食べる事>=<性交・SEX>が必要不可欠なのですね。
(当たり前ですが)




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ヤコブが行った<神との格闘> [聖書研究]

ヘブライ聖書の持つ意義は、ヤコブが行った<神との格闘>を、そのまま素直に受け入れて、ヤコブの改名した「イスラエル」という名前の意味を、神と戦う者> 解釈するのか、(無信仰的解釈

それとも、信仰者(キリスト教徒・ユダヤ教徒)の様に、<神との格闘>を、そのまま素直に受け入れず、「イスラエル」という名前の意味を、神と戦う者> 解釈しないのか、(信仰的解釈
によって、180度・正反対になる。

 この事は、信仰者キリスト教徒・ユダヤ教徒)と無信仰者の間の対立を意味する。
 なぜなら、神と戦う者> と解釈すると、<神に服従する者>という信仰的美徳・理想、に反する意味になるからだ。


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☆創世記の新解釈☆ シュメール・ギリシャ神話による考察 [聖書研究]

創世記を理解するためには、その時代的背景となるシュメール文化を解明せねばならない。
次に、シュメール文化の伝統的基本である、知識(智恵・科学)の尊重と、その正反対の意味を持つ呪術的儀礼(豊穣多産儀礼)を理解せねばならない。
そのためには、ギリシャ神話を理解せねばならない(ギリシャ神話は、シュメール文化の伝統を継承しているから)
結果的に、創世記(ユダヤ思想)は、シュメール文化の伝統的基本である、知識(智恵・科学)の尊重と、その正反対の意味を持つ呪術的儀礼(豊穣多産儀礼)のうち、知識・智恵の尊重>残留させ、<豊穣多産儀礼廃棄しようとしたのである。
*<知識・智恵の尊重ヤコブ代表させ、<豊穣多産儀礼カイン代表させた
知識・智恵の所有者> エンキ(鍛冶神) ⇒ カイン(鍛冶師) ⇒ ヤコブ

タグ:シュメール
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真実を知りたい人のために [聖書研究]

真実を知りたい人のために


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ユダヤ民族の歴史の意味 [聖書研究]

ユダヤ民族は、周辺諸民族が行っていた、呪術的犠牲儀礼タムムズ・バアル儀礼など)を、否定しようとした。
古代諸民族は、この呪術的犠牲儀礼において、人間を犠牲として殺害することにより、豊穣多産が齎され、共同体の食糧が確保できる、と考えたのである。
この場合、人間を犠牲として殺害することは、共同体の食糧を確保するために、共同体の人口を減らすことを意味している。
それは、別の角度から見れば、自然(神)の産出できる食糧は有限なので、その有限な食糧供給量に合わせて、人間共同体の人口調整を行う事を意味している。
この場合、人間を犠牲として殺害することは、人間が自然(神)の力に屈服する事、を意味している。
だから、ユダヤ民族が、周辺諸民族が行っていた呪術的犠牲儀礼タムムズ・バアル儀礼など)を、否定しようとした事は、人間が自然(神)の力に屈服する事を拒否する事、を意味している。
ところが、自然(神)の力は強大なので、人間が自然の力に屈服する事を拒否する事、は容易な事ではなかった。それ故、人間犠牲を否定する事も容易な事ではなかった。
そして、人間犠牲を否定しようとしたユダヤ民族自身に、人間犠牲の役割が降り懸ってしまったのである。
それが、ユダヤ民族の歴史の特徴である。(ホロコーストなど)
それ故、ユダヤ民族は、その人間犠牲の役割を拒否する為に、あらゆる艱難辛苦に堪え、自然(神)の力に抵抗して、戦わなくてはならないのだ。
だから、ユダヤ民族は、世界(=自然の力を変革する思想や技術の最先頭に立つのである。

シュメール・ギリシャ神話による聖書の考察 [聖書研究]

シュメール・ギリシャ神話による聖書の考察 

  ★ シュメール・ギリシャ神話による聖書の考察・理解 ★

過去数百年、オリエント地域では、膨大な量の考古学的遺物が発掘されてきた。

それらの中でも、シュメール・アッカド文明に関連する、粘土板に記された文献は、非常に重要な意義を持つ。

それらの文献は、聖書の基本的主題についての、従来の考え方を、<根本的に変革する事>を、我々に要求している。

シュメール文明は、紀元前3000年紀において、既に二次式や幾何学を研究したり、高度な建築技術・冶金術・法律体系を擁する、驚くべき文明であった。

そして、その文明を受け継ぎ、発展させたのが、ギリシャ文明とヘブライ文化なのであった。

本書では、この様なシュメール・ギリシャ両文明の神話資料から、聖書の考察・類推を行い、基本的主題の解明に努めた。

その結果得られた基本的主題とは、「イスラエル=神と戦う者」という主題であった・・・・・・・

ヤコブが、神と戦って、「イスラエル」に改名した事は、いったい何を意味するのか?

それを解明する鍵は、シュメール・ギリシャ神話に存在したのである。この鍵によってのみ、聖書の扉を開く事が出来るのである。

我々は、遂に、聖書の真の構造・主題を、実証的に解明する時期に到達したのである。

本書では、<律法の意義>の再構築も試みている。






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