ユダヤ民族の歴史の意味 [聖書研究]

ユダヤ民族は、周辺諸民族が行っていた、呪術的犠牲儀礼タムムズ・バアル儀礼など)を、否定しようとした。
古代諸民族は、この呪術的犠牲儀礼において、人間を犠牲として殺害することにより、豊穣多産が齎され、共同体の食糧が確保できる、と考えたのである。
この場合、人間を犠牲として殺害することは、共同体の食糧を確保するために、共同体の人口を減らすことを意味している。
それは、別の角度から見れば、自然(神)の産出できる食糧は有限なので、その有限な食糧供給量に合わせて、人間共同体の人口調整を行う事を意味している。
この場合、人間を犠牲として殺害することは、人間が自然(神)の力に屈服する事、を意味している。
だから、ユダヤ民族が、周辺諸民族が行っていた呪術的犠牲儀礼タムムズ・バアル儀礼など)を、否定しようとした事は、人間が自然(神)の力に屈服する事を拒否する事、を意味している。
ところが、自然(神)の力は強大なので、人間が自然の力に屈服する事を拒否する事、は容易な事ではなかった。それ故、人間犠牲を否定する事も容易な事ではなかった。
そして、人間犠牲を否定しようとしたユダヤ民族自身に、人間犠牲の役割が降り懸ってしまったのである。
それが、ユダヤ民族の歴史の特徴である。(ホロコーストなど)
それ故、ユダヤ民族は、その人間犠牲の役割を拒否する為に、あらゆる艱難辛苦に堪え、自然(神)の力に抵抗して、戦わなくてはならないのだ。
だから、ユダヤ民族は、世界(=自然の力を変革する思想や技術の最先頭に立つのである。

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