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そして、呪術的対処方法は全く無力で、それに頼っていると、神(自然)に敗北する結果を招いた。
そこで、
ユダヤ民族は、戦いに敗北して、パルマコス(人間犠牲)になる事を回避するために、律法的対処方法を採用したのであった。律法によって、神(自然)からの攻撃を防御しようとしたのである。
この場合、律法は、防衛のための<盾>の役割を持っている、と言えるだろう。

しかし、戦いという観点から見ると、律法的対処方法は、あくまでも、防衛手段であり、それだけでは、戦いに勝利することは、不可能であった。

なぜなら、律法的対処方法は、神(自然)を攻撃するという機能を持っていないからである。戦いにおいては、守備だけではダメで、攻撃も必要なのである。
そして、ギリシャ民族は、全人類が参加せざるを得ない基本原理・「神(自然)対人間の戦い」において、ユダヤ人同様、パルマコス(人間犠牲)になる事を回避するために、対処方法として、科学(ヘレニズム)という攻撃手段を採用したのである。
この科学的対処方法(ヘレニズム)というものは、いわば、戦いにおいて、槍(武器)の役割を持っている、と言えるだろう。

律法的対処方法(ヘブライズム)が盾<防衛>ならば、科学的対処方法(ヘレニズム)は、槍<攻撃>なのである。そして、ギリシャ人は、盾<防衛>を持たず、槍<攻撃>だけで、神(自然)との戦いに挑んだのである。

 ▽ 科学(ヘレニズム)は、原因を究明し克服するカを持つ
 ▽

さて、ヘレニズム(科学主義)が、何故、神(自然)を攻撃する武器の役割を持っているといえるのか、を説明しよう。


    
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