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だから、信じるという現象と、理解するという現象は、関連を持たない、全く異質の現象(働き)なのである。
聖書や宗教を判断する時、信仰者は、<信じる>という機能を司る細胞を作動させる。世俗者は、<理解する>という機能を司る細胞を作動させる。
つまり、両者は、全く別の脳細胞を働かせる訳である。だからこそ、両者の思考は、互いに相入れず、共通点を持たないのである。

そして、この事の持つ意味は、非常に大きい。なぜならば、脳機能の差異は、先天的なので、両者の対立は、永久に解消されない事を意味するからだ。


 
<3> 科学主義(ヘレニズム)ー 基本原理への対処方法

先に述べた様に、呪術・律法は、基本原理「神(自然)対人間の戦い」に対する、人間の側の対処方法というべき意義を持っていた。

ところで、呪術・律法の、基礎・形式を考案したのは、シュメール人であった。後代の諸文明は、シュメール文明・文化の伝統を受け継ぎ、発展(後退)させたのである。

現代の我々が、人類の歴史を俯瞰する時、シュメール文明・文化が果たした絶大な役割は、ほとんど信じ難い程である(いったい、何故、彼らは、あれ程高度な文明を築き上げる事が出来たのであろうか?)。

そして、そのシュメール人の都市文明・文化、科学技術を受け継ぎ、ヘレニズム<*注6>として、結晶させたのが、ギリシャ人なのであった。

ギリシャ人のヘレニズム(合理的科学主義)は、シュメール人の文明・文化に起源を負う、(基本原理に対する)第3番目の対処方法であると言えよう。 
以上の経緯をまとめれば、次の様になる。


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