ユダヤ教の意義(=呪術の否定の意義) [聖書研究]

ユダヤ教の意義(何を目的としているのか?)について考える。
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ユダヤ教は、よく言われる様に、<律法>の宗教である。
律法>の代表例としては、次のようなものがある。
① 偶像を崇拝しては、ならない。
② 周辺諸国の(多神教的な)宗教儀礼を真似しては、ならない。(たとえば、タムムーズアドニスのような死んで甦る神を崇拝すること。モロク神へ子供を犠牲として奉献すること。
③ 占い口寄せ(死者の霊を招いて語らせる事)の禁止。(違反者は死刑
④ 7日間のうち、1日を安息日として、何の仕事も、してはいけない。
⑤ 生肉や豚肉や貝などを食べてはならない。
⑥ 契約を守る。(当然、神との契約も
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ユダヤ教の意義(何を目的としているのか?)について考えることは、即ち、上記のような<律法>の意義(何を目的としているのか?)を考えることである。
さて、②・③ の<律法>(戒律)に注目してみよう。
イスラエル国の周辺諸国は、全て多神教であり、バール神やマルドック神やオシリス神をはじめとして、多数の神々が崇拝されていた。そして、それら周辺諸国では、人間を犠牲として神に奉献する儀式が実行されていた。
なぜ、そんな残酷なことをしたのかと言えば、人間を犠牲として神に奉献することによって、農作物が豊作になったり、疫病が治まったり、天災が回避できると考えられたからである。
(これらの儀式は、いわゆる呪術儀礼と言われるものであり、カインによるアベル殺害は、農作物を豊作にするために行われた人間犠牲儀礼なのであった)
科学的な合理思考をする現代人の我々は、この様な呪術儀礼が、何の効力も持たないことを知っている。
そして、今から数千年前の古代人も、これらの呪術儀礼の効力については、薄々疑問を感じていたに違いない。なぜなら、人間犠牲を実行しても、農作物が豊作にならなかったり、疫病が治まらなかったり、天災が回避できない場合の方が多かったはずだからである。
しかし、科学が発達する以前の社会に暮らしていた古代人は、その効果が疑問視される人間犠牲儀礼を、社会制度として制定し、永い期間に亘り、実行していたのであった。
なぜ、古代人は、その効果が疑問視される人間犠牲儀礼を、永い期間に亘り、実行しなければならなかったのだろうか?
その答えは、人間犠牲の結果を考えれば、すぐに解るであろう。即ち、人間犠牲を行えば、共同体の人口が減る。3人人間犠牲を行えば、共同体の人口が3人減る。そうすると、3人分の食料が助かる
人間犠牲は、共同体に危機が到来して、共同体の存続が危ぶまれる時に行われる場合が多い。天候不順による飢饉・疫病の流行・天災、などの危機を回避するために、共同体は人間犠牲を実行したのである。
つまり、共同体が人間犠牲を実行すれば、食料負担が軽減され、共同体全体の延命を図ることが可能になる。
だから、人間犠牲儀礼は、共同体の食料負担を軽減し、共同体全体延命を図るために実行されていたのである。
★ さて、ユダヤ教の<律法>(戒律)は、以上の様な「人間犠牲呪術」を禁止したのである。そして、「人間犠牲呪術」の禁止は、次のような意味を持つ。
共同体が「人間犠牲呪術を実行することは、共同体人間)が、共同体を危機に陥れる色々な災難(天候不順による飢饉・疫病の流行・天災)に屈服したことになる。
即ち、「人間犠牲呪術を実行して、食料負担を軽減し、共同体全体延命を図ることは、共同体人間)が、自然の力に負けたことを意味する。
だから、ユダヤ教の<律法>が、「人間犠牲呪術」を禁止したことは、共同体人間)が、人間犠牲による食料負担の軽減に頼らず、自然の色々な災難(天候不順による飢饉・疫病の流行・天災など)を乗り越えようとしていることを意味する。
共同体人間)は、呪術人間犠牲に頼らず、自然の力に打ち克たねばならない」
(=知力/科学の力で、災難を克服すること
ユダヤ教の<律法>は、そういう主張をしているのだ。(④⑤⑥の律法は、この主張の敷衍である
そして、この主張は、 イスラエルישראל(自然)と闘う者 という言葉と同等の意味を持つ。「(自然)と闘う」と、「人間犠牲呪術禁止」は、等価なのである。
しかし、「人間犠牲呪術」を禁止すると、強制的に人口を減少させること(人間の間引き)が不可能となる。ところが、自然の力(=災難)は、容赦なく人間共同体に襲いかかる。
そして、共同体の危機が最高潮に達すると、人間共同体は、否応無しに、共同体全体延命を図るために、強制的な人口減少策(人間犠牲を採用せざるを得なくなる。
それこそが、「ユダヤ人虐殺」(ホロコースト)なのである。
ユダヤ人は、<人間犠牲呪術強制的な人口減少策人間の間引き>を禁止したが故に、逆に、自らが、「人間犠牲」の対象になってしまったのだ。(「人間犠牲」の対象は、ユダヤ人だけではない
★ 尚、ユダヤ教自身の内にも、呪術的な不合理な儀礼が存在する.
     (レビ記における、祭司が行う燔祭や罪祭
このことは、(原始ユダヤ教自身も不合理な呪術から完全に解放されていなかったことを意味する。
しかし、時代が降ると、パリサイ派律法主義者)が、ユダヤ教内の実権を握り、祭司集団であるサドカイ派は消滅し、祭司的(呪術的)儀礼は、ほぼ完全に消滅したと見做せる。
やはり、ユダヤ人は特別な民族である。我々は、ユダヤ人により多くの恩恵を受けている。と同時に、ユダヤ人により、経済的搾取を受けている。

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