ヤコブの組打ちの意味 [聖書研究]
その夜、ヤコブはヤボク川の渡しを渡ろうとしました。ヤボク川はギレアデ山地から曲がりくねって、死海から約40キロ北の地点でヨルダン川と合流している川です。ヤコブはそのヤボク川を女子供を渡らせ終えて、さて自分も渡ろうとしたその時、いきなり人影が現れてヤコブに組み付いて来たのです。その人はとても強い人でしたがヤコブも負けてはいませんでした。一晩中二人は組みあい闘いました。夜明けが近づき、その人はヤコブに勝てないとみるとヤコブの関節に触り、ヤコブの股の関節をはずしました。それでもヤコブは彼を放しません。
「もう夜が明けるから、わたしを帰してくれ」
「いいえ、わたしを祝福してくださらないうちは放しません」
その人は命じました、
「もう夜が明けるから、わたしを帰してくれ」
「いいえ、わたしを祝福してくださらないうちは放しません」
その人は命じました、
「神と争って勝ったのだから、これからはヤコブではなく、イスラエルと名を改めなさい」
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上の絵画では、天使を模して描いてある人物は、創世記32章の記述から解釈すれば、明らかに<神そのもの>に違いありません。
だから、<イスラエル>という言葉の意味は、<神と闘う者>となります。
(神 対 人間の闘い) (ヘブライ語の文法にも適う)
私の主張によると、旧約聖書の根本思想は、この「イスラエル=神と闘う者」であります。
人間が、「神と闘う」とは、どういう事なのか?
この点に、人類の歴史の全てが凝縮されているのです。
人間は、「神と闘って、(神が炎の剣で守る)生命の木の実を掴まなければならない」
旧約聖書には、そういう普遍的な意味が含蓄されています。
しかし、ユダヤ教・キリスト教信仰者は、誤った解釈により、この最重要思想を台無しにしてしまいました。
人間が、「神と闘う」とは、どういう事なのか?
この点に、人類の歴史の全てが凝縮されているのです。
人間は、「神と闘って、(神が炎の剣で守る)生命の木の実を掴まなければならない」
旧約聖書には、そういう普遍的な意味が含蓄されています。
しかし、ユダヤ教・キリスト教信仰者は、誤った解釈により、この最重要思想を台無しにしてしまいました。
ヤコブ(イスラエル)は、この闘いで負ければ、命を失わなければならないのです。
<神 対 人間の闘い>とは、命を懸けた闘いなのです。
そして、あなた自身の闘い、でもあるのです。
タグ:聖書 ヤコブ
2011-12-25 08:11
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