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つまり、信仰者と世俗者(無信仰者)との間の、思想的対立が、信仰的理解と世俗的(基本原理的)理解の対立の根源となっているのである。

それ故、何故、信仰的理解と世俗的理解が、これ程正反対であり、対立しているのかは、両方の支持者の思考様式(どのような考え方をするのか、という事)を考察することにより、明らかにする事が可能となる。

そして、信仰者特有の思考様式とは、無批判的・非懐疑的・非合理的・非現実的思考であるといえるであろう。
簡単に言えば、教えられた事を、疑問を持たずに、そのまま受け入れる思考様式である。だから、理性によって理解できないこと(死者の甦り・神が指で石板に文字を刻んだ事など)でも、そのまま受け入れる事が出来る訳である。

他方、世俗者(無信仰者)特有の思考様式とは、批判的・懐疑的・合理的・実利的思考であるといえる。彼らは、理性によって理解できないことは、何でも否定しようとする。また、疑い深く、損得を基準にして、宗教を選択する。だから彼らは、多くの場合、宗教的神(*注9*)を否定する訳である。
なぜなら、ヤハウェは、理性によっては理解不能であり、ヤハウェを信じて、窮屈な律法を順守しても、あまり利益は得られないと判断するからだ。

ところで、以上の様な両者の差異は、ユダヤ民族だけに当て嵌まるのでは無く、全民族・国民にも当て嵌まる事である。
たとえば、信仰的アメリカ人と、無信仰(世俗的)アメリカ人も、全く同様の特徴・心性・心情を有している。


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